文具業界の事業戦略の主軸が、他社の特許を回避するために代替技術を自社で開発する「自前主義」から、他社に特許技術を提供したり他者の特許技術を利用したりする「ライセンス主義」に移り始めた。例えば、文具・オフィス家具メーカーのコクヨは「詳細は明らかにできないが3社とライセンス交渉をし、そのうち2社にライセンス供与した」(コクヨ知的財産担当部長の西形治郎氏)と言う。これは、ライセンス実績が少ない文具業界にとっては特筆すべき成果と言える。このように文具業界においてライセンス戦略を採る企業が出てきた背景には、同業界において商品開発スピードが速まっていることに加え、大手メーカーを中心に特許ポートフォリオを構築して知財を駆使した事業展開を進めようとする企業が出てきたことが挙げられる。今後は、文具業界においてライセンスを主軸にして事業を展開する企業が増えていきそうだ。 従来、文具業界においては他社に特許技術を提供したり他者の特許技術を利用したりする「FX 戦略」を採る企業は少なかった。文具業界の特許は質と数の面から回避が容易だったからである。医薬品業界における薬剤の基本成分のような強い基本特許はほとんど存在せず、1つの製品に必要な特許も10程度と電機業界の100程度に比べて少なかった。このため、医薬品業界や電機業界と違い、文具業界では他社の特許を回避するために代替技術を自社で開発する「自社開発主義」を採る方が費用対効果の面で有利な場合が多かった。 しかし、ここへ来て文具業界においても「日経225 主義」を採る企業が出始めた。文具・オフィス家具メーカーのコクヨによれば、同社は、競合3社に対して2006年10月頃から特許のライセンス交渉を続け、そのうち2社と特許のライセンス契約を結んだ。このようなライセンス戦略を採る企業が出てきた背景には、同業界における商品開発スピードが速まって自社開発だけには頼れなくなったことに加え、大手メーカーを中心に知財を駆使した事業展開を進めようとする企業が出てきたことが挙げられる。この結果、知財で先行するメーカーの特許を後発のメーカーが回避することが困難になる一方、後発メーカーが先行メーカーからライセンスを受けやすい環境が整った。
知財経営を強化するコクヨ 知財を駆使した事業展開を進めようとする企業の代表例がコクヨである。同社は知財をグループ経営における重要な資産の1つと位置付け、2006年8月から知的財産部を経営戦略部に組み込んで知財経営の仕組みを強化してきた注1)。具体的には「経営戦略に沿ってグループ企業の知財を全体最適化」(西形氏)する活動を進め、同グループの知財ポートフォリオを充実させてきた。この結果、同グループの中核事業であるステーショナリー(文具)事業とファニチャー(オフィス用家具)事業を中心に、グループ全体で約3,400件の知財を保有している。2007年度には特許を約150件出願している。また、企業ブランドや商品ブランドなどの商標を約300件、誰にでも使いやすいユニバーサル・デザインなどの意匠も約200件出願した(実用新案の出願はほとんどない)。なお、知財ポートフォリオ構築に当たっては、自社で使う知財ばかりではなく競合他社に使われる可能性が高い知財も積極的に権利化している。例えば、他社から照会のあったコクヨの発明を積極的に権利化するといった具合である。 こうした取り組みによって競合他社の製品に自らの特許が使われている可能性が高まったと判断した同社は特許ライセンス活動にも力を入れ始めた。具体的には、知財部と各事業会社などが協力し、自社特許と類似または同一の技術が使われている可能性の高い製品を販売している企業や、特許の審査状況を照会して自社特許の審査の経緯を調べている企業を探し出す注2)。「このような企業はライセンス交渉の対象と見なせる」(西形氏)からである。 実際のライセンスに当たっては、まず当該特許・意匠を自社の事業戦略と照らし合わせた上でライセンスの可否を判断する。この際、コクヨでは「グループで製品に利用している特許・意匠であっても、事業の優位性の保持と製品の差異化に問題ないと判断すればライセンスする」(西形氏)ようにしている。次にライセンス交渉に際しては、その企業に対して権利行使などの攻撃的な手段ではなく、相応の実施料を払ってもらえれば使っていただいて結構という態度でライセンスを提案し、「相手に時間や資金をかけて特許を回避するよりライセンスを受けた方が有利と考えてもらえるように促す」(西形氏)
九州大学知的財産本部(IMAQ)技術移転部門グループリーダーの高田仁氏は、大学や公的研究機関などが産み出す研究成果を事業化する“実用化機関”の代表機関として、オランダの応用科学研究機構であるTNOやベルギーの先端半導体研究所であるIMEC(Interuniversity Microelectronics Center)などの機能に着目、2004年9月から現地調査をするなど、その成功の秘訣を精力的に分析し続けている。日本の大学が産学連携体制を築き始めて10年以上経ち、文部科学省の大学知的財産整備事業が始まって5年経った現在、大学は、企業などへ技術移転する仕組みの高度化を強く求められている。欧州の「産」と「学」(大学や公的研究機関)をつなぐ実用化機関の実力について、産学官連携の論客として有名な同氏に聞いた。 ──欧州のオランダのTNOやベルギーのIMECなどの機能を独自に調査されているとのことですが。 大学の研究成果である基盤技術を企業にどのような形で技術移転すれば、投資信託 ・産業化できるのかなどの成功条件を調査分析しています。調査対象である欧州のTNOとIMECは、大学と産業界(企業)の間を仲立ちする、基盤技術と事業化の橋渡しを果たす実用化機関として有効に機能しています。こうした実用化機関が、大学の研究成果を基に企業が事業化する際の技術移転のギャップをどう埋めているのかを分析してきました。その成功の秘訣を学ぶためです。 ──TNOとはどんな機関ですか。 TNOは1932年に設立され、1980年ごろに現在の技術移転を担当する実用化機関になりました。欧州最大の総合受託試験研究機関といわれています。TNOの使命は、企業への技術指導、受託研究、認証の付与、技術ライセンスなどです。企業などから受けた事業化への技術課題に対して、初期の研究開発を実施し“プロトタイプ”レベルまでの研究開発成果を出します。事実上、中小企業の“中央研究所”の役目を果たしているといえます。TNOは約50社にのぼるスピンオフ企業を輩出し、インキュベーション機能も果たしています。 TNOの財務状況は、収入が約5億5600万ユーロ(約890億円、1ユーロ=160円で換算)です。この収入の内訳は35%がオランダ政府から、65%が企業からです。企業からの収入の内訳は、65%のうち29%がオランダの企業から、65%のうち15%が軍事関連企業から、残りの21%がEU諸国や米国などオランダ以外の企業からです。職員数は約5,000人で、その10〜20%は企業経験者です。企業の考え方を理解していると推定できます。 ──知的財産の運用は。 知的財産は原則、機関帰属がルールです。1年間の特許出願件数は約500件です。興味深いのは、事業化の基礎となる特許はしっかり確保するものの、一般の企業のように網羅的には出願しない戦略を取っていることです。この点が、企業の知的財産戦略とは異なっていると分析しています。特許の実施権付与は原則では有償ですが、多額の研究費を支払った企業は無償で実施権を獲得できるケースもあります。 TNOは38のビジネスユニットで構成されています。外部の外国為替証拠金取引 が3年ごとに、各ビジネスユニットの研究開発成果などを評価します。外部評価委員会は、どのビジネスユニットを継続させ、どれを廃止するかを判断します。 例えば、外部評価委員会の評価により、TNOが18人のスタッフで構成していたセラミックスの研究開発チームを廃止しました。18人のうち9人を企業に転籍させ、残り9人を解雇したそうです。このように研究成果に対する評価はなかなか厳しいようです。この外部評価委員会の委員は、当該分野の大学の教員などや企業人など数人が就任します。それぞれが、国際的に高い見識を持った方々です。
──もう一つのIMECはどんな機関ですか。 ベルギーのIMECは既に日本の企業や公的研究機関と共同研究を多数実施しており、その実力は日本でもよく知られています。ベルギーのフランダース州が中心となって1984年に設立されたNPO(非営利法人)であり、企業が求める研究開発を実施する機関です。大学と企業の中間に位置する “Transformer”を名乗っています。 収入は約2億ユーロ(約320億円)で、この内の70%が企業などから、18%が州政府から、残りの12%がEU政府からです。企業からの収入の70%が外国企業からという点が、IMECの実力を示しています。知的財産は原則、IMECの帰属ですが、企業が派遣した研究者の発明に基づく特許は、当該企業がIMECに多額の委託研究費を支払っている場合は無償の実施権を付与するなどの柔軟な運営を実施しています。また、複数の企業が参加する共同研究から産まれる知的財産は、参加企業に実施権を許諾しています。 ──TNOとIMECに着目されている訳は 欧州のTNOやIMECなどの機関は、大学と企業の中間に位置する実用化機関として技術移転の橋渡し機能を果たしています。これらの機関は収入の1/2から2/3を企業からの受託研究で稼いでおり自立しています。大学や公的研究機関などからの基礎研究を技術移転する時のいわゆる“死の谷”を少なくする橋渡し機関として存在価値を発揮しています。 この点を評価して、国や州政府が産学連携を促進する機関としてこれらを重視し、支援を継続しています。この結果、大企業にも中小企業にもそれぞれバランスよく技術移転機能を果たしています。こうした点は、日本の行政や大学、公的研究機関、企業などがそれぞれ学ぶべきだと考えています。